こんにちは。私は相続を生業としている弁護士や税理士等の専門家で組織された協会、相続終活専門士協会の代表理事を務める江幡吉昭と申します。本連載では、我々が幾多の相続案件の中で経験した事例を何回かに渡ってご紹介したいと思っています。

 伝えたいことはただ一つ。どんな仲が良い「家族」でも相続争いに巻き込まれると「争族(あらそうぞく)」になってしまうということです。そこに財産の多寡は関係なく、揉めるものは揉めるのです。そうならないために何が必要なのでしょうか?具体的な事例を基に、考えてみたいと思います。

 今年最初となる第5回は、未婚の兄が亡くなった後、血のつながった妹に遺産がいかなかったケースです。この兄と妹の両親は既に他界しており、普通に考えれば兄の遺産は妹に行くはず……と考えがちですが、そうでもないのです。具体的に、ご説明いたしましょう。

未婚の兄が孤独死した。両親の死後ずっと病気の兄の世話をしてきたにもかかわらず、妹は遺産を相続できなかった。「あの人」がまだ、生きていたから…
未婚の兄が孤独死した。両親の死後ずっと病気の兄の世話をしてきたにもかかわらず、妹は遺産を相続できなかった。「あの人」がまだ、生きていたから…
  • ●登場人物(年齢は相続発生時、被相続人とは亡くなった人)
    • 被相続人 兄44歳(無職、東京在住)
    • その他 妹40歳(専業主婦、東京在住)
  • ●遺産 自宅マンション3500万円、銀行預金700万円:計4200万円

 この兄妹は比較的早くに、両親を亡くしておりました。兄は長く内臓系の病気を患っており、日常生活に支障は全くありませんでしたが、長時間働くことはできず、亡くなった両親の遺した財産で日々生活していました。

 亡くなった父は一流企業のサラリーマンであり、生前は退職金で買ったマンションに父と母と兄の3人で暮らしていました。父母が亡くなったため、兄が一人で住んでいたというわけです。

 兄は婚姻歴もなく、子供もいません。一方で、妹は結婚して2人の子供の母親になっていました。兄と妹は同じく都内に住んでおり、電車で15分もあれば通える距離です。妹は月に1度程度、兄の看病や部屋の掃除、足りないものをスーパーで買ってくるなど面倒を見ていました。

 ある日のこと、兄の住むマンションの管理人から妹の携帯電話に電話がかかってきました。「お兄様から住む部屋から異臭がする」というのです。妹は嫌な予感がしました。慌てて兄の住むマンションに急ぎます。

 兄の部屋の前の扉に立ってみると、たしかに何とも言えない「臭い」がします。悪い予感は的中します。管理人と一緒に部屋を空けたところ、兄が居間で倒れたまま亡くなっていたのです。

 後の警察による鑑定の結果、死後一カ月程度が経っていました。結果的に事件性はなかったものの、警察のDNA鑑定の結果が出るのに半年強の時間がかかりました。

 死後半年以上経ってから、ようやく戸籍謄本(除籍)を取ることができたのです。死亡時間は通常「●月●日」「●時●分」と記載されるものですが、今回は「●月●日~●月●日の間」となっています。特殊清掃などにかかったお金も葬儀費用もすべて、とりあえずは妹が立て替えることになりました。兄が残した遺産で費用は賄えると考えたからです。

第3順位の相続人の条件

 さて、兄が住んでいた、マンションや預金などの遺産は、誰の手に渡ったのでしょうか。実の妹は兄の遺産を相続することができませんでした。

 と言うのも、上記登場人物以外に相続人がいたのです。それは祖母の存在でした。民法では相続人の順位として直系尊属を第2順位としています。

 死亡した人の配偶者は常に相続人となり、それ以外の人は次の順序で配偶者と一緒に相続人になります。
 第1順位 死亡した人の子供
 第2順位 死亡した人の直系尊属(父母や祖父母など)
 父母も祖父母もいるときは、死亡した人により近い世代である父母の方を優先します。
 第3順位 死亡した人の兄弟姉妹

 今回のケースは、兄が亡くなり、その両親は既に他界しています。よって妹が相続人になりそうですが、第3順位の人は、第1順位の人も第2順位の人もいないときにはじめて相続人になります。今回は第2順位の祖母が存命という非常に稀なケースでした。

 そこで妹は、祖母に連絡を取ることにしました。祖母は以前から父と母が不在で病身の兄を心配しておりました。「お父さんお母さんがいないんだから、何かあったときは妹のアンタがお兄ちゃんの面倒をみるんだよ!マンションを守るのもアンタだよ!お父さんの退職金で買った城なんだから!」などと、会う度に言われてきました。

 実際妹は祖母の言いつけを守り、月に1度、兄の面倒をみていたわけですが、祖母の自宅に行ったところ「兄のマンションはどうなるの?」と聞いてきます。

 妹としてはいつもの祖母の調子だと、自ら進んで相続を放棄すると淡い期待を抱いていました。ところが、実際は違います。「どうせ私が死んだらマンションはあなたのものだから、今回は相続人である私がもらっておくよ」と言うのです。

 祖母曰く「相続人である私がマンションもらって何か問題あるのかね?」という具合です。人の言うことはコロコロと変わるものです。状況変われば言うことも変わります。それは前回から私が申しあげている通りです。

 妹も特段生活に困っているわけではないので、これ以上ごねても仕方がないということで矛を収めます。ただ、両親や兄が過ごしたマンションですのでそれなりに思い入れもあります。一つの形見としてマンションを大切に取っておいてもらいたいという想いはありました。

死亡保険金の受取人はよく考えて決めるべし

 というわけで、兄の面倒を見て、DNA鑑定に協力し、特殊清掃代と葬儀とお墓の一切を取り仕切った妹ですが、費用は精算されたものの、財産は祖母にいってしまいました。

 そんな妹にも1点だけ、報われることがありました。それは死亡保険金です。兄が生前、妹を死亡保険金受取人とする終身保険に300万円ほど入っていたのです。

 このように被相続人が契約者・被保険者であり、特定の方が受取人として指定されている場合、この生命保険の死亡保険金は受取人固有の財産になるものと考えられています。よってこの死亡保険金は祖母ではなく死亡保険金受取人である妹に支払われるのです。

 生命保険の契約の時、死亡保険金受取人について、「なんとなく妻にしておこう」とか、「なんとなく長男にしておこう」という風に、深く考えて決めていない方は多いと思います。

 しかし、上記のように被相続人が生命保険の契約者・被保険者となり、法定相続人以外の方でも受取人として明確に指定すれば、死亡保険金を受取人固有の財産とすることができ、これは非常に強い権利です。死亡保険金の受取人として誰を指定すべきかは、できれば「この人にこの金額は遺したい」としっかり考えて決めるべきだと思います。

このマンションの後日談

 また、このケースで兄が妹にマンションなど財産を遺したかった場合、遺言を書くべきでした。遺言がないと今回のように第二順位である祖母に財産がいってしまいます。第三順位である妹に遺すためには遺言が必要だったのです。(注:もちろん祖母には遺留分があるので遺留分に配慮した遺言を書く必要はあります)。

 ちなみにこのマンションは後日談があります。

 祖母は相続登記が終了するとすぐに売却となったのです。祖母の口ぶりからはマンションを遺すというニュアンスだったと理解した妹でしたが、残念ながらすぐに売却となりました。

 孤独死があった物件は、一般的には殺人事件や自殺があった事故物件というわけではありません。ただし、このマンションの買主に告知事項としてきちんと本件を説明して売却しました。

 このマンションは人気のエリアにあり、買い手候補はたくさんいたのですが、孤独死があったということを買主候補に説明すると、大体、購入を見送られてしまいました。結果として、このマンションの最近の取引価格から10%近くのディスカウントでようやく買い手が付いたのです。

 家族が過ごした思い出の場所、故人が遺した自宅はある意味、形見のようなものです。1年程度経過してから売却するような方も多い一方、すぐに売られてしまうと遺族の間にはわだかまりも残るものです。

 相続といってもそれぞれの立場によって見方は変わりますし、正解はありません。周りに気を使いすぎても何もできなくなってしまいますが、故人の思いというものは、ぜひ前回も申しあげたとおり、付言事項という形で遺言で遺してもらいたいものです。万能ではないものの、それによって解決する問題も少なからずあるものです。

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