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この連載は、古来、自然信仰や神道、禅宗などの仏教、さらに儒教といった思想を反映しながら、繊細な美の様式を整えてきた⽇本⽂化の根底に流れている、“日本らしさ”について探ってきました。
今回は特別企画として、現代の⽇本書道の第⼀人者で、⽂化勲章受章者である⾼⽊聖鶴先⽣にお会いしたく、岡⼭にある先⽣のご⾃宅までお伺いしました。
必ずしも体調が万全ではない中、また「作品こそが全て」という先⽣のお考えがあるにも関わらず、敢えて先⽣のこれまでの書道⼈⽣を語って頂きました。
連載のタイトルを「和道 ⽇本⽂化 ⼼のしきたり 美のこだわり」と決めた時に、私が模索していた答えが、おぼろげに⾒えてきた気がします。
書家 木下真理子
それは挫折から始まった
木下:聖鶴先⽣が書の道に⼊ろうとされたきっかけから、お聞かせ頂けますでしょうか 。
聖鶴:私はもともと身体が弱くて、それが理由で(旧制)中学を中途退学しなければなりませんでした。当時は戦地へ出兵する為に、学校はその養成をしていましたが、 “不適格”という烙印を押されてしまって。
そりゃもう悔しくて、涙が出ましたよ。
それで何かをやらなければと思った時に、生涯続けられるものを探そうと思いました。
音楽や絵画ということも考えました。でも音楽は外に音が漏れてしまうし、絵画は写生に行かなければならないから、これも近所の人に何を言われるか分からん。じゃから手本があれば自分で出来る、書を選んだんです。
木下:ただそこには、興味を持てるところがあったわけですよね。
聖鶴:当時、私の父親が骨董屋からいろいろなものを買っているのを見ていましたので、そうしたことから馴染みはあったのではないかと思います。
でも、私は学歴社会から脱落してしまいました。それから戦争というもので経済的な蓄えなどはすぐにゼロになってしまうということも身を持って体験しました。
なので、何か手に職を付けることが大事だと思いました。
木下:はじめから自分に書の才能があるかもしれないという自覚はお有りだったのでしょうか。
聖鶴:いや。今でも身体を半分に割ったら、大変下手な字を書く自分がいます。だから当時、まったく楽観的な考えは無くて、悲壮な、決意に近いものでした。
師を自分で選ぶことの大切さ
木下:そんな先生は、お若い頃、どれくらい書と向き合われていたのでしょうか。
聖鶴:はじめの数年間は独学で、数多く古筆の本を買ってきては臨書しとりました。独学の頃は勉強が仕事のようなもので、一日十時間は書に向き合っていたと思います。
最初は一般的な『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』から始めたんですが、“和様漢字”がなかなか書けなくて。その後「高野切」の“一種”、“三種”とやって。それから「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」、「継色紙(つぎしきし)」、「関戸本(せきどぼん)」、「本阿弥切(ほんあみぎれ)」と…。
でも、どうにも深まらなくなって、誰か先生に付こうと思うようになりました。
いろいろと調べて、当時、関西で活躍されていた内田鶴雲(うちだかくうん)先生の作品を見た時に、同じ教わるならこの先生だと思って、入門したいと手紙でお願いしました。
木下:どの先生に習うのか、ご自身で師をお選びになられたんですね。
聖鶴:はい。
すると先生から半紙二枚の作品と先生のお宅の地図が送られてきて。
それから先生のもとで、先生が亡くなられるまで、三十年間学ぶことになりました。
木下:どの先生に教えを頂くかということは、とても大切なことで、その後の書道人生はそれで決まってしまうと言っても過言ではないと、私もそう思います。
聖鶴:下手な先生についたら一生浮かばれません。
木下:(笑)。
ところで、聖鶴先生は、一つひとつの古筆を大変丹念に学ばれていると思いますけれども、このあたりのことについて教えて頂けますでしょうか。
聖鶴:最初に内田先生にご指示頂いた「一条摂政集(いちじょうせっしょうしゅう)」の手本は、三年間全力で臨書しました。三年というのは長い方ですが、「元永本古今集」は四年間取り組みました。その800頁は、全部そらんじられるくらい、覚えています。
木下:脇目も振らず、書道一筋という感じで。
聖鶴:二十年くらいは、昼間は仕事をしていました。
でも家に帰ると、ご飯を食べたり、風呂に入ったりする以外は、部屋にこもって午前2時頃まで書いたり、本を読んで勉強したりしていました。
木下:それは毎日ですよね。
聖鶴:毎日です。私の子供には申し訳なかったのですが、運動会や参観日はおろか、一緒に海水浴や旅行に行ったことは、一度もありません。
木下:(笑)。もう休日も関係なく。
聖鶴:日曜、祝日も、盆暮れも関係ありません。
でも、内田先生が戦時中に防空壕の中でも臨書していたということを聞いたことがあって、本当に凄いなぁと思いました。
人生は“二百年”ないと足りない
木下:(笑)。聖鶴先生はよく二百年くらいないと自分が目指しているところには到達出来ないとおっしゃられていますよね。
聖鶴:例えば藤原定信があの「貫之(つらゆき)集」を書いたのは二十代後半と伝えられています。
平安時代の人と比べると、今は日常生活で筆を手にする時間が少なくて、それこそ当時の四分の一くらいではないですか。
なので彼らが五十年で到達したことが、今なら二百年は必要ではないかと思います。
そう考えると、自分はまだ半分にも達しておらん。
木下:(笑)。先生がそうおっしゃるなら、私はひよっこですらなくて、まだ生まれてもいません。
聖鶴先生はどうしてここまで一途に、書に取り組んでこられたのでしょうか。
聖鶴:先程、「元永本古今集」は四年やったと言いましたけれど、一生懸命に書いて、関西仮名の指導者でもあった安東聖空(あんどうせいくう)先生に若い頃、見てもらったことがありました。
そしたら、安東先生に「今までにこんなに上手く書いた者はいない」と褒めてもらって。もう鬼の首を取ったように嬉しかったです。
木下:これは私事で恐縮ですが、書を大学で学んでいた頃、「書展」に自分も参加していたんです。
もちろん先生は覚えていらっしゃらないと思うのですが、その会場に先生が足をお運びくださいまして。その時、私はバックヤードにいたんですが、会場の係の人に呼ばれたんです。先生がこれを書いたのは誰かということで。それで、「あなたは筋がいい」とお褒め頂いたんです。
聖鶴:そんなことがありましたか。
木下:その一言で、私は勘違いしてしまったんだと思うんです(笑)。だけどその一言のおかげで、これまで続けてこれた気がします。
聖鶴:スポーツ、芸術、お金を儲ける才覚。それはその人の実力というより、持って生まれたもので、先祖から代々そういう能力を引き継いでいます。
だから私も、感謝の気持ちを持って、心を入れて勉強してきたんです。
そして、培ったものは社会に還元していかなければなりません。
木下:はい。
聖鶴:あとは他人にも自分にも嘘をつかない。人の悪口を絶対に言わない。誰とも喧嘩しない。これが私の生き方です。
木下:それは書に表れてしまうと。
聖鶴:そうです。
仮名のルーツである漢字も学ぶ
木下:ところで、先生は仮名をご専門とされていますが、漢字の分野にも大変精通されていますよね。
聖鶴:日本の文字(仮名)の根元は漢字ですから、漢字のことを知らんと、中国の古典を勉強せんと、良い仮名にはなりません。
これは当たり前のことです。
私は今も漢字の臨書は欠かしません。「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)」や「集字聖教序(しゅうじしょうぎょうのじょ)」。
若い頃は、平安時代の年表を作ったりもしていました。
木下:あっ!それは私もやっています。
聖鶴:この年は何があってと、一年毎に書き出していきます。その時代を理解すること、感じることは、書く上で大切なことです。
木下:点と点が重なっていくと、その時代の世相とか空気みたいなものが見えてきますよね。
それと先程、聖鶴先生はさらりと、「元永本古今集」を“そらんじている”とおっしゃられましたが、言葉や文学もそのように身体の一部になっていて、ご自身の美意識と一体となって、作品が生まれているということですよね。
聖鶴:頭でただ覚えていてもあんまり意味がありません。それが本当に身体の一部にならんと活かせません。
形だけ真似ても真が無くては。
優品は置くだけで身になる
木下:書道は資料を買ったり、紙を買ったり、突き詰めようとすればする程、時間だけではなくて、お金もかかりますよね。こういうお話は、これから書を学ぼうという人には、お話しにくい部分でもあるのですが。
聖鶴:良い手本(古筆)が要ります。それは高いです。
若い頃、当時は月給が千円の頃でしたが、先程の「一条摂政集」。これは大変に程度のいい複製本で、二千円でした。「針切(はりぎれ)」は五千円くらいだったと思いますが、頑張って買いました。
木下:買ってしまったら、無駄には出来ませんからね。高価なものには、再現性とか、高いだけの理由があって。
そういったこだわりこそが自分を高めてくれるということはありますよね。
聖鶴:良いものはお金がかかります。だからお金というものはとても大切です。
人に借りたりするのではなくて、無理をしてでも、自分で買うことです。優品は、近くに置いておくだけでも、確実に自分を高めてくれます。
木下:私もお金の使い道のほとんどが、書に繋がるような本ばかりで、自宅は本だらけなんです(笑)。
でも勉強という堅苦しいものではなくて。一度⾜を踏み⼊れたら、興味は連鎖的に繋がっていって、求めれば求める程、その世界は深く、広がっていますので、のめり込んでいってしまうんですよね。
聖鶴:それこそトイレの中でも本は5頁~10頁は読めます。
木下:(笑)。
聖鶴:私の人生は、独学による、“雑学の集積”とも言えます。
その時に解けんかった疑問も、二年、三年と経つと、ふとした瞬間に解けることがあります。
難問も自力で突破出来る。“学び”というのは、そういうことではないかと思います。
木下:先生のこうした学びは、一方の創作活動にどのように繋がっているのでしょうか。
聖鶴:直接結び付いたと実感出来るまでには、二十年くらいかかったと思います。
木下:二十年ですか…。
でも、逆に言えば、現代はスピード重視で、何でも合理性が追求されて。成果や答えも性急に求め過ぎるきらいがありますよね。
聖鶴:精神論的にこうしなければということをお話しているわけじゃありません。
ただ私の場合は、はじめから生涯、書をやっていこうと決意したので、気が長い。それだけのことだと思います。
木下:生涯に渡ってこだわり、それに力を注いでいくということは、それが仕事であっても、趣味であっても、幸せなことですね。
能の世阿弥は、いくつになっても、その時々の「花」を咲かせることを説きました。美しさを若さに求めるのは西洋文化の志向で、世阿弥は、〈老木(おいき)になるまで、花は散らで残りしなり〉とも言っていますが、そんな美意識が日本にはあるんですよね。
聖鶴:でも、なまやさしいことじゃありません。勉強しようという決心をせんと。
木下:聖鶴先生は、敢えて書道以外のことにも、眼を向けられているようですが。
聖鶴:他の芸術も、例えば文学、絵、彫刻、工芸にしても、全てが“同根”です。
だからそういうことも吸収すれば、肥やしになります。専門以外のことでも理解を深めれば、“幅”が広がります。
木下:このお話と関連して、聖鶴先生は誰よりも“型”を大切にされていらっしゃると思うのですが、同時に一つの書法に凝り固まることがないそうで。
聖鶴:あらゆる能書から、古筆の形、筆跡、書いた人の息遣いまでを学ぶようにしています。
学ぶ対象が少なければ、そこで固まってしまいます。あらゆるものから学ぼうという意識で吸収すれば、それが身に付いて出来た字は自分の書になります。
それは最初からあるもんじゃありません。
木下:型から抜け出すには、逆に多くの型を学ぶということですね。
聖鶴:それから私の場合、自然からもヒントをもらいます。
岡山の総社で暮らしていると、高梁川だとか、空を見ていても鳶(とんび)がくるっと回ったりするのを見て、ああいう線が引きたい。山が遠くになるとかすんでいくけれど、こういう遠近感はどうやって出すのかなと、考えたりします。
木下:鳥の動き、落ち葉の舞う様、虫の姿形とか。生きている環境の中で、眼と感覚を養われて、自分の表現に活かしていくんですね。
聖鶴:眼や手によって掴み感じるもの、“動感”というか“本能”で書けるようになるまで習練して。
学んだことが自然に滲み出ればそれが一番いいんです。
誰にも相談せずに自分で考える
木下:聖鶴先生にとって、現代の書とは何でしょうか。
聖鶴:この時代において、皆が好きそうな、喜ばれるような字を書くということです。
現代は、現代の字を書かんといけません。
でも、それは誰にも相談せんで、自分で考えて、自分の責任で、現代の字を書きます。
木下:自分の責任で。
聖鶴:そうです。
ただ、古典という書の本道を勉強せんと、現代の字は絶対に書けません。
自分の眼が確かに備わらなければ、変なところにいってしまう。
木下:先生にとって、書道とは何でしょうか。
聖鶴:きれいに美しく書くのが書道でしょう。それは当たり前で、美しくないといけません。
木下:本当に、それに尽きますよね。
聖鶴先生は今、ご自分の書をどう見ていらっしゃるのでしょうか。
聖鶴:今も勉強しています。どこまで勉強するのか、ここまでということはありません。
思い上がっていたら、いい書を書くことなど出来ませんから。
完成を目指すのではなく、未完成であり続けることです。
■ビジネス・メモ
現代社会は、すぐに“成果”を出すことが求められています。そして、徹底した合理化、効率化、スピード化が進められ、品質の確保された物やサービスを私たちは簡単に手にすることが出来ています。このような成果優先の社会通念は、人物評価の面でも、学歴・収入・地位などが指標となり、少なからず私たちの人生観に影響を与えています。ただ、成果を求めるあまり、物事を割り切って考えたり、数々の可能性を手放しているということはないでしょうか。
私はこの連載で、日本の伝統文化でも特に「−道」と付くものに着目し、その道の第一人者の方々と対話をさせて頂きました。そのことを通して、少し分かったことがあります。
それは、古来、時代を越えて培われてきた豊潤な日本文化は、知識を得て完結するものではなく、自ら人生の様々な場面で活かしていくことに真意があるということです。言い換えれば、日々の機微に触れながら生きていくその“過程”、何かを生涯に渡って“継続” していくことそのものに、価値があるということです。
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