冒険心をくすぐる国。マダガスカルにはそんなイメージを抱いていた。日本からはるか遠くアフリカ大陸の東南に位置する島国で、童謡でおなじみのアイアイや体の色を変化させるカメレオン、サン=テグジュペリ作の童話『星の王子さま』に登場するバオバブの木など、珍しい動植物が多く生息する。そんなワクワクする国の料理が東京で食べられると聞いたら、行かないわけにはいかない。
降り立ったのは東京・御茶ノ水駅。楽器店やライブハウスが軒を連ねる「音楽の町」だ。おもしろいことに、マダガスカル料理が食べられる店もライブハウスだという。地下へと続く階段を降りてドアを開けると、グランドピアノが置かれたしっとりとした店内。1969年創業の老舗ジャズ・ライブハウス「NARU」である。
「マダガスカル料理の提供を始めたのは3年くらい前からです」と話すのは、2代目オーナーの成田広喜さん。なぜ、そんな珍しい国の料理を出すようになったのかと成田さんに尋ねる。「偶然なんですよ。新しいシェフを探していたら、知人からおもしろい人がいるよと紹介されて。会った瞬間にこの人と働いてみたいと思ったんです」
それが、マダガスカル出身のエリック・ピエールさんだった。エリックさんの専門はイタリア料理で、ある料理対決番組では川越達也シェフに勝ったこともあるという経歴の持ち主。「だから夜はイタリアンなんですが、せっかくだからとランチでマダガスカル料理を出すことにしたんです」と成田さん。マダガスカル料理は事前予約に限って夜も食べることができるという。
「マダガスカル料理は絶対に日本人の口に合うと思うんですよ」
そう言いながらエリックさんが厨房から出てきた。そんな言葉を聞いたら、ますます食べるのが楽しみになるじゃないか。本来は日替わりでデザートも付いたランチセットなのだが、事前に相談していたソウルフードを出していただく。エリックさんは私の目の前に料理がのった皿を置いた。
「これは、エノキソア・プティポワです」
エノキソアは豚、プティポワはグリンピースという意味で、豚肉とグリンピースを煮込んだ料理だという。しかし、皿に視線を落として驚いた。よく煮込まれているのだろう、赤みがかったスープがしみ込んだ豚のブロックとグリンピース、それがホカホカの白いごはんの上にかけられていたのだ。
盛り付けはきれいなのだが、言うなれば豚丼である。日本人に合うどころか親近感すら覚えてしまう。聞いたところ、ごはんはエノキソア・プティポワには含まれないそうだが、「ごはんと一緒に食べて」とエリックさん。かき込みたい衝動を抑えて、スプーンで口の中にいれた。
ふわーっとトマトのさわやかな酸味が広がった。今までに食べたお隣のアフリカ大陸の料理は油が強かったので、なんとなくそれを想像していたが、さっぱりしていてシンプル。だから、豚肉のうま味とグリンピースの甘みがしっかりと舌に伝わってくる。ゴロゴロとした豚肉はやわらかく、口の中でほろりと崩れ、後からくるピリッとした唐辛子のアクセントがまた、食欲をそそる。そして、これがごはんとマッチしているのだ。
「まず、ソテーした豚肉とグリンピースを玉ネギ、ニンニクと一緒に煮込みます。味付けは塩とトマトソース、唐辛子などを少々。マダガスカルの食材は味が濃いので手の込んだ味付けをしなくてもいいんです」。日本ではブイヨンを少し入れるそうだが、母国ではそれも必要ないとエリックさんはいう。
エノキソア・プティポワは日常的に食べるごくふつうの家庭料理だそうだ。「小さい頃にお母さんがよくつくってくれました。マダガスカルでは豚がけっこう高価なので、食べきれないから残そうとすると怒られたなあ」と笑うエリックさん。豚より牛のほうが安くて、鶏肉が一番貴重だという。日本と逆なのが興味深い。
「マダガスカルは豚より牛のほうが多いので、そのぶん高価なんだと思います。鶏はどの家でも飼っているんですが、放し飼いにしていて家畜というより一緒に暮らすペットのような感覚。そのせいか、普段はあまり食べないんですよ」。卵を得るため、というのもあるのだろうか。いずれにせよ、カモなども含めて鳥の肉は、クリスマスなどの特別な日に食べることが多いそうだ。
そして、エノキソア・プティポワに限らず、これらの肉はグリンピースや青菜、キャッサバの葉などの野菜と一緒に煮込みや汁物にすることが多い。野菜もたいていの家庭が自分で育てている。エリックさんの家は首都アンタナナリボの中心部だったが、それでも小さな畑があったそうだ。
「こうした煮込みをごはんにかけて食べるわけです」
え、ちょっと待って。ごはんにかけるのはマストなの? そう聞くとエリックさんは「そうですよ」とにっこり。「この食べ方こそがマダガスカルのスタイルです」
日本のように小鉢などはつかず、ワンプレートでの食事が基本らしい。そして、エリックさん曰く、この“マダガスカルプレート”を朝昼晩と食べる。「マダガスカルはお米が主食。パラパラとしたインディカ米を水やココナッツミルクで炊きます。おかずは少しで、とにかくごはんをたくさん食べるんです」
私の皿にはお茶碗2杯分ほどのごはんがのっていたが、マダガスカルでは子どもでもその1.5倍は食べるという。1人当たりの年間米消費量は約120kgで、これは日本人の2倍以上にあたる。「お米ばかりたべるから、マダガスカルの男性はみんな太っているんです」とエリックさんは笑う。そういうエリックさんは細身ですね、と言うと「気を付けているから」とのこと。
それにしても、お米も味付けも、そして盛り付けも、最初に言われたようにアフリカ大陸の料理とは雰囲気が違って馴染みがある。そう言うと、「マダガスカルはアフリカとは違う」とエリックさん。
「私たちがアフリカ人と同じだと思っている人がたくさんいますが、それは間違い。性格も習慣も違います。私たちからするとアフリカ人はとてもルーズに見える。日本人が旅行先で中国人と間違えられると違和感があるでしょう?マダガスカル人もそれと同じなんです」。だから料理も比べるものではないのだと言う。その理由はマダガスカルの歴史にもあるようだ。
マダガスカルには大きくアフリカ系の人とマレー系の人がいる。これははるか昔、東南アジアのボルネオ島からマレー系が移住してきたからだと言われていて、彼らの子孫がマダガスカルに王国を設立した。共通言語であるマダガスカル語もインドネシアやフィリピンと同じ語族に属す。
アフリカ系の人々がマレー系より先に住んでいたのかははっきりしないが、やがてアラブ系民族も暮らすようになり、大航海時代には欧州の人々も訪れるようになって、19世紀の末にマダガスカルはフランス領となった。「1960年にフランスから独立しましたが、私たちはフランスではビザが必要ありません。車はフランス製ばかりだし、言葉もマダガスカル語よりフランス語のほうが通じます。グリンピースを意味するプティポワもフランス語。そもそもグリンピースは古来の食材ではないのでマダガスカル語がないんです」
実は、エノキソア・プティポワを食べた時、洗練された味だなと感じた。それは、エリックさんが一流シェフだからなのだろう、と思っていたが、それだけではなかった。マダガスカル料理は世界各国の文化がつくりあげた味なのだ。皿の上にのったごはんとエノキソア・プティポワ。この中にはアジアやアフリカ、フランスの文化が入っている。「マダガスカルプレート」という言葉には、そんな意味も込められているのかもしれない。
エリックさんはいま、そんな母国の料理にある思いを抱いている。「私は父の仕事の関係でイタリアに住んだことをきっかけにイタリア料理のシェフになりましたが、お母さんに教わったマダガスカル料理は私の原点だし、誇るべきものです。でも、マダガスカルの観光客が泊るホテルはフレンチばかり。もっと母国の料理のすばらしさを伝えるべきです。シンプルでうけないというのなら、フレンチスタイルでおしゃれに提供すればいい。マダガスカル料理は美味しいんだから」
エリックさんが店で出すマダガスカル料理も日本人に合わせて、おしゃれで食べやすくしている。そうやって間口を広げることで、自分が好きな日本の人にもっと母国を知ってもらいたい。マダガスカルプレートにはそんな郷土愛ものせられている。
JAZZ Livehouse NARU
東京都千代田区神田駿河台2-1 十字屋ビルB1
電話:03-3291-2321
ホームページ:http://www.jazz-naru.com/
(このコラムは、ナショナル ジオグラフィック日本版公式サイトに掲載した記事を再掲載したものです。情報は2016年8月25日時点のものです)
登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。